けいろうのひ、ばんざ~い。
むかしのたいふうをおぼえてる・・・。
1974年9月、高3の小生(建築学科か電気工学科志望)は狛江に住んでいた。台風16号(鉄人28号、愛人2号、コント55号・・・)は、多摩川を激流と化した。登戸周辺水流の左カーブ後半で、川崎側はコンクリート堤防、「哀れ」狛江側は土の堤防、そして宿川原堰がまたコンクリート。水圧に対して堅牢なコンクリートは反作用で押し返すが、「土」は細かい粒子が集まっているだけなので応力を持たない。決壊は必然であった。図中A地点の決壊をB地点で目の当たりにしていた。ドラマ「岸辺のアルバム」参照。
後日、水の引いたC地点に双眼鏡を持って出かけて観察を行った。数百m~2kmほど流された家屋(大半が木造)で原形を留めている個体は全て当時「はしり」のツーバイフォーであった。
在来工法では、柱と梁(線)で強度を確保しており、壁は土壁であり風よけ雨除け以上ではなかったのだ。新式は壁までを一体構造でこしらえるため、外力に対して「面」で抗することが可能であった。その後、シェアは後者に傾いていったのは言うまでもない。
立体デザインに自信がなく、数値計算だけでいける電気学科で有接点系自動制御を学んだが、就職時にはコンピュータによる無接点系に移行しており、過去の遺物を学んでいたのだから読みが浅かった。

